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魚と釣り

2015年06月


かせんろく
日本の初の釣りの指南書「何羨録(かせんろく)」復刻版の表紙。

日本最初で最古の釣りの解説書、津軽采女(うぬめ)著の「何羨録(かせんろく)」には江戸湾(東京湾)での釣り道具の解説、釣り場、釣る時期が記してあるが、大物のマダイ、スズキの話は無く、何羨録原本を読むのは難しく、自分の頭では読めないが解説書を読むとシロギス釣りが好きだった感じがする。

明治の文豪、幸田露伴は海釣り好きだが、河川でのスズキ釣りは手軽なのか、時期になると利根川水系に毎日通ったベテランのようだ。

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江戸湾の釣り場、ポイント名「何羨録(かせんろく)」より。
 

東京湾にはカッタクリ釣りと言う擬餌鈎の手釣りがあり、擬餌の動きを作るのに肩に負担が強く来るので「肩に来る」が語源だ。その擬餌の釣りが、いつの間にか竿とリールで、特にコマセ籠付きテンビン仕様の擬餌釣りの名前になり、本来の意味が解らなくなっている。

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カッタクリ、和式ジグ三角。スイベルのある方にメインラインを結び、反対側にスズキバリ2本を赤いタコ糸のリーダーで結ぶ。現在でも充分通用する。
 

そのカッタクリ釣りで使う擬餌が日本式のメタルジグの初代ではないだろうか?

今で言うジグであり、いつ頃できたか詳しい年代は不明だが、江戸時代にキセルを銜えながら釣りをしていた旦那が、タバコの燃えカスを捨てようとして、キセルの頭、雁首を船縁でたたいたら、雁首がポロリと海に落ちた。「アレー」と海を覗くと、ゆらゆらと落ちていく雁首を、大きなスズキが「パクー」と食うのが見え、それをヒントに出来たのがカッタクリの擬餌釣りだ。この釣りが日本のジギングの元祖で、ルーツになる。今でも通用する釣り方だ。

西洋にも似た話がある。ティーパーティでマスのいる池にスプーンが落ちたところ、マスが銜えるのを見てルアーのスプーンができた話だ。

 

フライフィッシングが大好きであった30年以上前、渓流が禁漁になる10月頃、スズキのルアーフィッシングの黎明期で、スズキはプラグで釣る意識が強く、千葉港の船宿、小峰丸にスズキを釣りに行くと、10月には夜のスズキから昼スズキ、カレイ、アイナメにターゲットが変わる頃で、プラグでディープを探るのが難しくなる頃だ。シンキングプラグが沈むのを待っていると釣れていることが多かった。

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黎明期、スズキに使ったルアーとカッタクリ図。 

真冬にカレイ、アイナメを釣りに行き、「スズキは真冬、何処にいるの?」と質問しても「深場だろう。」の答えである。冬は何処で越冬しているのか、知りたくて真冬の東京湾を2〜3年掛けてリサーチしたら、潮温が9℃以上あれば産卵を意識しないサイズのフッコまでは温排水で釣れ、オープンウオーターの20〜30mにいる、プレスポーニング、(産卵前行動)の個体はメタルジグのトレブルフックにスレで掛かることが多く、口を使わないでボディーでアタックしてスレてくる感じだ。

産卵を意識しているフッコサイズ以上の個体は三浦半島側、横須賀〜観音崎周辺、房総半島・勝山周辺の潮温が11℃前後の水深50〜80mの藻場、岩礁エリアで産卵行動をしている。産卵時の卵を他魚に捕食されるのをボデーブローして排除しているのだろう。80cmのスズキで2ℓのペットボトル程の大きさの卵塊で、少し不気味な感じだ。

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東京湾のスズキはマンメイドストラクチャー(人口構築物)に付く。 

当時、南本牧港の航路浚渫工事をしていて、濁りがあり、1kgサイズのタチウオが釣れても興味がなかった。スズキが釣れないと大型のタチウオが釣れ、スズキが釣れる時はタチウオが釣れず、棲み分けしているのを感じていた。ダーウィンの「進化論」より今西錦司の「棲み分け理論」を感じていたのだ。

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タチウオの釣りで、水深150mで擦れで釣れたフッコサイズのスズキ。
 
当時の東京湾奥はダイオキシンの問題があり、キャッチ&リリースが主流であった。

東京湾に流れ込む河川も綺麗になり、こんなにスズキが釣れていいのと思うほど釣れ、漁獲も多く有るのだが魚価が低迷して、下がる傾向が強く、高級魚から大衆魚になってしまい、稚魚放流を縮小する計画もある。自然産卵で現状維持ができるように大事にしたい魚だ。

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東京湾のスズキの産卵エリア。 
 
その昔は、冬の釣り物のアイナメ、イシガレイ、マコガレイが多くいた。現在は稚魚放流をしているが釣れない。その訳は、稚魚が棲む浅場から成魚の棲む海域の間に浚渫の溝があり、その溝に無酸素水塊、青潮と呼ばれる潮が入り込むと死んでしまうのだ。青潮が発生しないようにしたいものだ。


 


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アメリカボストン沖のストライパー、北米の大西洋岸に生息。2006年2月に特定外来生物に指定された。


J・G・F・A(ジャパンゲームフィッシュ協会)の若林 務氏より交雑個体の有無は存在しないデーターがあると指摘をいただいた。2001年のタグ&リリース・ニュースでは香川県水産試験所、横川浩治氏の講演の記事が出ている。

それによると
朝鮮半島、南東端の海域では2種のスズキが生息し、スズキと中国スズキ(タイリクスズキ)の間には自然交雑は起らないとしている。両種の産卵期に1~2ケ月のずれがあり、朝鮮半島におけるこれら二種の分布の境界付近から得られたスズキ集団のアイソザイムを調べたところ、両種の交雑個体は全く認められず、両種間ではすでに生態に生殖隔離のメカニズムが完成しているものと推定される。

香川県水産試験所の2001年のデーターでは遺伝子の攪乱の心配はないと判断している。ただし、人工的には交雑種は簡単にできると言う。

2007年の福山大学、谷口順彦博士のデーターは交雑の事例はごく少ないとしているが、否定はしていない。1997~1998年の宇和島の20の標本の内、18個体がタイリクスズキ、1個体が交雑の可能性、1個体がスズキとしている。

タイリクスズキ(L・maculatus)とスズキ(L・japonicus)との交雑が起きて繁殖している確証はなく、背鰭、体側に黒斑点の無いタイリクスズキや黒斑点の有るスズキもいて、黒班点の有無や多い、少ないは個体差によるので、釣り人が「タイリクだ」、「交雑種だ」、と決めるのは難しく、止めた方がよさそうだ。「スズキ(鱸)その2」では交雑種がいるとしたが、釣り人的判断では確証が無いので訂正だ。

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 震災前に釣れた常磐沖のスズキ、体高があり、タモ入れの時にヒラスズキと思った。

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ヨーロッパスズキ(Dicentrarchus labrax)と呼ばれているスズキ。ポルトガル名ROBALO 


スズキは成長と共に名が変わる出世魚だ。東京湾、江戸前での呼び名は
 5cm以下、コッパ
 15cm以下、ハクラ
 24cmくらいの1年魚、セイゴ 
 全長30cm以上の2年魚をフッコ
 全長60cm以上の3年魚をスズキ  

1貫目(3.75kg)以上の大型を大太郎(おおたろう)、と呼んだ。今はサイズに関係なく、大きくても小さくてもシーバスだ。風情の無い呼び名である。

河川と汽水域の水温が同じになる秋、10 ~11月頃から荒食いが始まり、12月に入り、汽水域の水温が13℃を下回ると13℃以上の水温のあるエリアに移動が始まる。

産卵を意識しないサイズの3~4年魚はベイトの多くいる温排水等の潮温のあるエリアで越冬する。冬に釣れる時の表層潮温の最低は8~9℃である。 

東京湾は 日本一スズキが生息しているだろう。そこでの産卵期は11~1月で湾の南エリア、観音崎~剣崎周辺の水深50~80mの凸凹で岩礁のあるエリアで、産卵は低気圧の通過する、風の強い時化の日の夕マズメに行われ、浮性卵の多回産卵、卵の直径は1.22~1.45mm。14℃前後で、4~5日で4.5mmで孵化し、孵化後8~15日の有器官鰾期に海面まで浮いて来て、空気を飲み込んで鰾(浮き袋)に空気を入れ、背骨を真っ直ぐにする。これが行われないと背骨が変形する。

2か月程の浮遊生活を経て、2~3月に14mm前後に成長し、岸寄りの浅場や河口域、藻場に移動する。

11月の早生まれ群は翌年の春に15cm に、2月の遅生まれ群は6月の梅雨の頃に15cm に成長する。釣り人が思っている以上に成長は遅い。
 
 1年で20cm前後
 2年で30cm前後
 3年で40cm前後、この年から性成熟する。
 4年で43~46cm
 5年で49~58cm
 6年で53~61cm  
 7年で56~65cm
に成長するが大きさに差がでる。寿命は約15年だ。

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JGFAのスズキのタグ&リリースプログラムでの再捕記録。東京湾

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JGFAのスズキのタグ&リリースプログラムでの再捕記録。大阪湾

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JGFAのスズキのタグ&リリースプログラムでの再捕記録。外房ヒラスズキ

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