日本の初の釣りの指南書「何羨録(かせんろく)」復刻版の表紙。
日本最初で最古の釣りの解説書、津軽采女(うぬめ)著の「何羨録(かせんろく)」には江戸湾(東京湾)での釣り道具の解説、釣り場、釣る時期が記してあるが、大物のマダイ、スズキの話は無く、何羨録原本を読むのは難しく、自分の頭では読めないが解説書を読むとシロギス釣りが好きだった感じがする。
東京湾にはカッタクリ釣りと言う擬餌鈎の手釣りがあり、擬餌鈎の動きを作るのに肩に負担が強く来るので「肩に来る」が語源だ。その擬餌鈎の釣りが、いつの間にか竿とリールで、特にコマセ籠付きテンビン仕様の擬餌鈎釣りの名前になり、本来の意味が解らなくなっている。
カッタクリ、和式ジグ三角。スイベルのある方にメインラインを結び、反対側にスズキバリ2本を赤いタコ糸のリーダーで結ぶ。現在でも充分通用する。
カッタクリ、和式ジグ三角。スイベルのある方にメインラインを結び、反対側にスズキバリ2本を赤いタコ糸のリーダーで結ぶ。現在でも充分通用する。
そのカッタクリ釣りで使う擬餌鈎が日本式のメタルジグの初代ではないだろうか?
今で言うジグであり、いつ頃できたか詳しい年代は不明だが、江戸時代にキセルを銜えながら釣りをしていた旦那が、タバコの燃えカスを捨てようとして、キセルの頭、雁首を船縁でたたいたら、雁首がポロリと海に落ちた。「アレー」と海を覗くと、ゆらゆらと落ちていく雁首を、大きなスズキが「パクー」と食うのが見え、それをヒントに出来たのがカッタクリの擬餌鈎釣りだ。この釣りが日本のジギングの元祖で、ルーツになる。今でも通用する釣り方だ。
西洋にも似た話がある。ティーパーティでマスのいる池にスプーンが落ちたところ、マスが銜えるのを見てルアーのスプーンができた話だ。
フライフィッシングが大好きであった30年以上前、渓流が禁漁になる10月頃、スズキのルアーフィッシングの黎明期で、スズキはプラグで釣る意識が強く、千葉港の船宿、小峰丸にスズキを釣りに行くと、10月には夜のスズキから昼スズキ、カレイ、アイナメにターゲットが変わる頃で、プラグでディープを探るのが難しくなる頃だ。シンキングプラグが沈むのを待っていると釣れていることが多かった。
黎明期、スズキに使ったルアーとカッタクリ図。
黎明期、スズキに使ったルアーとカッタクリ図。
真冬にカレイ、アイナメを釣りに行き、「スズキは真冬、何処にいるの?」と質問しても「深場だろう。」の答えである。冬は何処で越冬しているのか、知りたくて真冬の東京湾を2〜3年掛けてリサーチしたら、潮温が9℃以上あれば産卵を意識しないサイズのフッコまでは温排水で釣れ、オープンウオーターの20〜30mにいる、プレスポーニング、(産卵前行動)の個体はメタルジグのトレブルフックにスレで掛かることが多く、口を使わないでボディーでアタックしてスレてくる感じだ。
産卵を意識しているフッコサイズ以上の個体は三浦半島側、横須賀〜観音崎周辺、房総半島・勝山周辺の潮温が11℃前後の水深50〜80mの藻場、岩礁エリアで産卵行動をしている。産卵時の卵を他魚に捕食されるのをボデーブローして排除しているのだろう。80cmのスズキで2ℓのペットボトル程の大きさの卵塊で、少し不気味な感じだ。
東京湾のスズキはマンメイドストラクチャー(人口構築物)に付く。
東京湾のスズキはマンメイドストラクチャー(人口構築物)に付く。
当時、南本牧港の航路浚渫工事をしていて、濁りがあり、1kgサイズのタチウオが釣れても興味がなかった。スズキが釣れないと大型のタチウオが釣れ、スズキが釣れる時はタチウオが釣れず、棲み分けしているのを感じていた。ダーウィンの「進化論」より今西錦司の「棲み分け理論」を感じていたのだ。
タチウオの釣りで、水深150mで擦れで釣れたフッコサイズのスズキ。
当時の東京湾奥はダイオキシンの問題があり、キャッチ&リリースが主流であった。
東京湾に流れ込む河川も綺麗になり、こんなにスズキが釣れていいのと思うほど釣れ、漁獲も多く有るのだが魚価が低迷して、下がる傾向が強く、高級魚から大衆魚になってしまい、稚魚放流を縮小する計画もある。自然産卵で現状維持ができるように大事にしたい魚だ。
東京湾のスズキの産卵エリア。
東京湾のスズキの産卵エリア。
その昔は、冬の釣り物のアイナメ、イシガレイ、マコガレイが多くいた。現在は稚魚放流をしているが釣れない。その訳は、稚魚が棲む浅場から成魚の棲む海域の間に浚渫の溝があり、その溝に無酸素水塊、青潮と呼ばれる潮が入り込むと死んでしまうのだ。青潮が発生しないようにしたいものだ。